マンションの中には、個々の所有者がマンション管理に全く関心を持たず管理会社に任せっきりにしている管理組合も存在する。
マンション管理を行うのは誰なのか、これを完全に履き違えている。だから管理組合の形骸化が生まれる。
考え方 ☞ 管理組合=管理会社
結 果 ☞ 管理会社=主体
結 果 ☞ 管理組合=形骸化
マンション管理の主体は管理組合であって、個々の所有者である。管理会社はあくまで、マンション管理を補助する請負業者に過ぎない。だがしかし、現状を鑑みると、管理会社がマンションを支配している感は否めない。
当初から管理会社が存在し、あたかも管理会社がマンション管理の主体者であるが如く、間違ったマンション管理が平然と行われている。
だが、いつかはその間違いに気付く時が来る。それが早いか遅いかだけだ。
管理会社に対する不信感、これを抱くようになった瞬間に気付く。色々と調べてみると、そこで初めて間違いだらけのマンション管理であったことに気付く。
それに気付いた管理組合の先人者たちは知っている、この気付きが遅いと取返しがつかないことを…
管理組合の形骸化、もうひとつの理由!
社会や集団組織というのは、寄らば大樹の陰、出る杭を打つという特有の考え方が存在する。
寄らば大樹の陰は、大きな木の下の方が安全という考え方である。小さなものよりも大きなものを選ぶ、同じ頼るなら勢力のある方がいい、これを良しとする考え方だ。これまでの政界をみれば理解できよう。
出る杭は打たれる、世間のバッシングの多くはこれに該当する。昔の言葉に「村八分」という言葉があるのだが、人と変わったことをすると仲間はずれにされる。出る杭は打たれると類似の言葉である。
いずれにも共通するのが集団の結束力に関係している。結束力という言葉よりも秩序が正しい言い方なのかも知れないが、いずれにせよ社会や集団組織に求められるものであろう。
これを逆手に取れば、悪者役をひとり作ることで集団の結束力は高まったりもする。
管理組合もこの組織に該当する。だから、寄らば大樹の陰、出る杭は打たれる、集団の結束力、集団の秩序、悪者役にはなりたくはない、この考え方が存在している。
寄らば大樹の陰(管理組合編)
寄らば大樹の典型的な例が多数の意見に賛同する、これだ。
総会や理事会の採決の際に、周りの様子を伺いながら手を挙げる、私はそんな光景を多くの総会、理事会で見てきた。多勢が手を挙げればそれに賛同する、言い方を変えれば偏見な目を向けられたくない、その気持ちの表れだと思う。
出る杭は打たれる(管理組合編)
出る杭は打たれるの典型的な例がこれまでの慣習を変える、これを口にすると古株の住人から叩かれる(笑)。時間の経過と伴に人はその環境に慣れる。だから違ったことをする人を偏見な目でみてしまう。例えそれが良い行いでも出る杭は打たれる。これが日本に蔓う文化だと思う。
集団の結束力(管理組合編)
集団の結束力、果たして管理組合に存在するのだろうか。普段は持ち合わせていないが、災害時に住人同士が互いに助け合ったりする。管理会社変更、マンション管理の見直し、大規模修繕、建替え、大きな事案が発生すれば結束するケースも窺える。というか結束しなければ成功はしない。
集団の秩序(管理組合編)
集団の秩序は当然に求められる。だから管理規約というルールが存在する。
悪者役になりたくはない(管理組合編)
総会、理事会で意見を言わないのは、自分の発言によって偏見な目を向けられる、言いたいことはあるのだが言えない。これが意外と多い。
総会、理事会が終わった後に本音の意見が出る。こうすればいい、ああすればいい…
だったら会議の時に言えばいいじゃんって、管理会社時代にそう感じた。そう何度も(笑)。
でも会議の時に意見を言えば、終わった後にあの人は… になってしまう。だから皆さん何も言わないのだろうと悟った。
何か発言するとなんか悪いことをした気持ちになる。私はそんな風には思わない人種だが、私の妻がよくこれを口にする。
人と変わったことをしたら悪者になる。そんな風潮が管理組合の中にあることは否めない。
だからアクションが起こせない、発言していいものなのか悩む…
まとめ
すこぶる長文になってしまったが、前述の考え方はあくまで個人的な意見である。
私が思うに、他人に依存してしまう理由はそこにあると思う。それが管理組合の形骸化に繋がっていると感じる。