社会生活を送る中で、たまに意見とか文句を言われたりすることがある。そんなときに私は、それが意見なのか、文句なのかを瞬時に見極めようとする癖がある(笑)。
なぜこのような癖がついてしまったのか(笑)、それは管理会社時代の経験を通じて培かわれたことなのかも知れない。
一般的に使用されている「クレーム」という言葉があるが、日本語に訳すと「苦情」という意味にあたるのだが、言われた本人からしてみれば、仮にそれが意見であったとしても苦情に思えたりすることがある。当然文句は苦情の典型となろう。
私が管理会社時代に、社内でよく聞かせれた言葉がクレームである。「〇〇マンションの居住者の方からクレームの電話が入っています。」…
実際に話を聞いてみると意見であったり、要望であったり、相談であったりもする。明らかにクレームとは異なる。
クレームというものはそもそも存在しない、これが私の持論である。
最初からクレームだと思い込むことに問題がある。
意見とか、要望とか、相談があって、それに正しく向き合わなければ、苦情を生んでしまうことはあるだろう。
結果として、解決できない、満たされない、その先にあるものが苦情とか文句とか不満になると思う。ただし、そうなるまでの過程が正しければ、きっと多くの方は納得せざるを得ないだろう。
人によっては、最初から文句を言われる方もいるし、罵声で怒鳴りちらかす人もいる。
その前の過程もなく、突然そのように言われるのであれば、もはやそれは苦情ではなく言い掛かりと言えよう。
文句というのは、愚痴と何ら変わらない。
意見と文句というのは明らかに異なる。意見というのは建設的な考え方がそこにあるからだ。
だから人の意見は互いに聞くべきだと思う。意見を聞くというのは人を敬うことでもある。
これって、社会において必要なことだと思うし、マンション管理組合の運営面においても大切なことではないだろうか。
なので、私は意見と文句を識別するのが癖になっている(笑)。