マンションの管理員はそのマンションの顔である…
この言葉は管理員の教育研修などでよく用いられる。
もっともらしく聞こえる言葉なのだが、実はこの言葉には矛盾が存在する。この矛盾を知り得るのは、まぎれもない管理員自身ではないだろうか。
管理員はそのマンションの総合窓口であり世話人的な存在と成り得る。そこに住まれる方が平穏かつ快適に過ごせるように管理員は存在する。
来訪者から見れば、管理員の挨拶や対応の在り方によってそのマンションの印象が決まるといっても過言ではない。そこにも「マンションの顔」という言葉が当てはまる。
だがしかし、実際の現場では「マンションの顔」というよりも、「管理会社の顔」の方が優先されている。これは、長らく管理会社で働いてきた私が肌で感じたことでもある。
今回、そのギャップについて語りたい。
価値観のギャップ
管理会社にとって良い管理員とは、管理会社の指示に忠実に従える管理員である。言い方を変えれば、「やり過ぎない」「管理会社寄りの立場で」「管理会社にとって都合のよい」、それが管理会社側の本音となろう。
一方、マンションの管理組合にとって良い管理員とは、マンションのために仕事をしてくれる管理員である。そこには「管理組合のために」があって「管理会社のために」は存在しない。そこが管理組合と管理会社がそれぞれ持つ価値観の根本的な相違点となろう。
管理会社が「やり過ぎる」を嫌う理由
管理員は「マンションの顔」である。そこで管理員によっては、マンションのためにと思い、管理会社側に要望とか意見を口にすることがある。
こうしてほしい、ああしてほしい…
現場に立つ管理員は、直接住人から話しかけられることが多い。
あの件、どうなっているのか…
その後全く連絡がない…
話を聞くと、フロント担当者に纏わる苦情であったりもする。
そこで「早く対応してもらえないか」、それをフロント担当者に伝えると「総会・理事会の準備で今は忙しいから」「少し待ってくれ」、この言葉が返ってきたりもする。
管理員は、要件を伝えただけなのに逆に文句を言われたりもする。何度もそれを口にするとフロント担当者から煙たがられる。
現場で働く管理員は、マンションのことをよく知っているから問題点などがよく見える。管理員によっては、総会や理事会の席で住人サイドにつき、管理会社に要望・意見を口にすることがある。
管理会社はこの要望・意見に対して不快さを覚える。そこに「やり過ぎる」が存在する。
マンションの顔でありながら、管理会社の顔色を窺わなければならない。管理員は立ち位置が不明で何かと気を遣う職業だと思う。そこにストレスを感じる管理員もいるだろう。
管理員の雇用先は管理会社になるのだが、実際のところ管理組合から仕事を貰っているわけだから、間接的に管理組合が雇用していることに違いはない。
本来なら、管理組合の理想を優先すべきであろう。マンションのためにとやればやるだけ雇用先の管理会社から嫌われる。そこに矛盾が存在する。